この精神で生きる「何も持たない人間」は世間から受け入れられないでしょう。
何もかも足りない現状を少しでも打破したいのならば、素直に、謙虚に様々な人から学んでいかなければなりません。
その過程で「納得できない論拠に対し、関係性を維持するために納得したフリをしないといけない」シチュエーションが出てきます。
納得しなければいいのでは?と思うでしょうが
そもそも自らを卑下して「学びたい」という姿勢を見せた者から反論されるのは気分を害する行為かと思います。
その程度で関係性が無くなる人間など信用に値しないので、それはそれでいいかもしれませんが
じゃあ時間返せよって思ってしまうんですよね。
いや、どうせそんな結果になってしまうのならば、もっと傲慢に生きてみてもいいんじゃないかと思うんですよね。
当然、人々からは、反論、反発の動きがあることでしょう。
しかしそれこそが目的です。
自分を客観的に見つめてくれた忌憚のない意見は、的を射ているものです。
『自分が否定されている!!』という怒りのシグナルが脳から発され身体中を駆け巡りますが
自分の不始末を他人の所為にする行為こそが最も愚かな行為だと肝に銘じ
有り余るエネルギーで自分を更に追い込んで、成長につなげていく。
自分本位な考え方ですが、他人を踏み台にして、自分が納得できる自分になるまで持っていくのです。
生まれてから四半世紀が過ぎました。
自分を改造するために、思い切った策に出てみてもいいかもしれません。