夜明けの虹

言うほどこいつの考え知りたいか?

見つめ返してみよう。2020年の自分を!

世間ではいろいろなことがあった年でした。

勿論、どんな年であれいろいろなことは起きるのですが。

それにしたって、話題には事欠かない一年だったといえるでしょう。

望む、望まないにかかわらず変化を要求される一年でした。

 

 さて。その中で僕はほとんど変化のない一年を過ごしていました。

あの三文字を口にする機会も、世間話としてぐらいです。

身内や自身に感染がなかったこともあり、深く考えたことはほとんどなかったように思います。

無頓着というか不謹慎な考えではありますが、こんな処で嘘をついても仕方がないでしょう。

 

来年で25歳になりますが、今年も、特に何も成し遂げられませんでした。

ここまで来ると、自分の一生が誰の価値にもならないことは確実視させられます。

誰の手によってか。それはもちろん、自分自身です。

既定路線なので、論じるに値するものでもありません。

 

今年の後半に、人を信じられなくなる出来事がありました。

誰が悪いという話でもないと思います。

強いて言うなら、私の才能と努力不足が招いた因果というべきでしょうか。

ただ生きていることの罪を、贖うことなく怠慢のままに言葉として放った罰を味わったというべきでしょうか。

 

自分自身を信じられないから、他の人も信じられないし、他の人から信じられないことは当たり前のことみたいです。

なのでなるべく私生活で他人との接触を絶ち、自分を見つめ直すことに専念していました。

ひとから声をかけられれば、応じていましたが、基本は一人でいることを第一に考えていました。

孤独感が募りながら、誰の目にも届かないことで堕落していくだけでしたがね。

これでいいのか。いいや、よくない。

解っていながらも抗えない無力感。無気力に、無為に過ごす日々は続いていきます。

 

生きてても微妙だし、死んでもいいなぁと思うのですが、死ぬことでかかる周囲への迷惑を考えると、それもまた微妙です。

周囲といっても、そんなにたくさんの人はいませんけどね。

けどまあ、やはり恐怖はありますし、死ぬ理由が明確に強くならないとなあというところです。

このまま生きていても見いだせるものは少ないと思いますが、自殺を決意するのはまだ先の話でしょうね。

誰の邪魔もせずひっそりと生き続けることが無難な選択なのでしょう。

 

来年の目標を立ててもいいですが、今までに立てた目標を成し遂げられた記憶がないんですよね。

成功した経験が圧倒的に乏しい。

怠慢する言い訳を並べていても仕方ないですが、僕にとって目標を立てるということは心の重荷や罪悪感を増す材料にしかなりません。

才能はないし、努力が面倒なので、何も出来ません。

生きていても仕方がない感じがしてやはり死にたいのですが、うーん。どう考えても微妙です。まだ決定打がない感じですよね。

 

2021年をどう生きるか。

僕自身を大きく変える革命的な出来事が起こるのでしょうか。

何も行動しない限り、その瞬間は訪れないとは思います。

沈みゆく太陽が空を暗くしていくように、絶望の色が時間をかけて濃くなっていく感覚。

その心地よさに甘えて、僕は今日も生きていくのだと思います。