「世間」「人々」の価値観に迎合できない男を主人公とした、
太宰治の半ば自伝といえる中編小説。
さて、いかにも僕が好きそうなタイトルですが
好奇心の欠如が理由で出会いが遅くなってしまいました。
しかし、手放しで褒めることも多い僕ですが、
本書は一筋縄に同調しきることができませんでした。
太宰治が自殺する1ヶ月前に書き上がったということで、
本書で一貫する価値観は魂の叫びのような、人間の本音100%の内容であることには疑いないです。
だからこそ、部分的に共感できるし、部分的に忌避してしまう。
作中でも葉蔵が述べている通り、本質的に人と人は完全に分かり合えないのです。
それは本書と僕、という関係にも適応されるかなと思います。
葉蔵は幼少期より「道化」を演じていたとありますが、
まず外面と内面の境界をハッキリ分けて考え続けられるところが一種の才能のように感じました。
僕の場合は「人と分かり合えない自分」と「人と分かり合おうとする自分」が
考えを掘り下げる内に混ざり合い、どちらの像も中途半端に仕上がってしまっています。
それを水と油のように冷静に仕分けて俯瞰し「本来の自分」を見失わずに生きられる。羨ましい。羨ましいです。
ただどうしても許せないのがシヅ子との離別シーンです。
僕の読解力が低いせいでしょうけど、何度読み返しても、幸せを壊してはいけないと考えて去るのが納得いかないのです。
前のページを見れば分かるのですが、単に居心地が悪くなったのでは?と思うのです。
それを、もっともらしい理由を付け傷心ぶって去っていくのがどうしても許せない。
非常に醜い言い訳で、なぜかこちらまで恥ずかしい心持ちになりました。
全体を通しては、人付き合いについて考え方の参考にはなりました。
結婚とかを考えると別ですが、適当に人付き合いをする分には常に演技してやり過ごせば何とかなるのは間違いないでしょうね。
しかし、葉蔵に限った話ではありませんが全体的に独善すぎるなあという思いはあります。
人を駒としか見ていないような……だからこそ『人間失格』なんでしょう。
一部の価値観は持っていき、残りは教訓として記憶に留めておきたいと思います。